入院してからちょうど2周年
2005年1月28日 日常ということで、あのころの心境を忘れないように、
と言ってももう大分忘れているけれどもコレに書いておこうかとも思う。
あの頃は仕事での無理と減量のツケが蓄積して、かなり体調が悪かった。
一時期0.12tあった体重がそのときには85kgほどに減っていた。
これは今考えてみれば、減量をするに当たり栄養摂取を抑えることを
メインにした事により、病気にかかりやすくなっていたため
風邪を長期間にわたりこじらせてしまったことから始まった様に思う。
それにより関節が座る事にも苦労するほどに痛くなり、また従来から持病の
皮膚病も悪化していった。
入院直前には、車の座席からの乗り降りにでさえ、かなりの時間を要し
床には直接座れない様な状態になっていた。
私ももう流石にしんどかったので、地元の入院するはこびとなったのだが、
入院するとすぐに高熱と強烈な寒気に襲われてそれが交互に私の
体力を削いでいった。
3日ほどそれに耐えていたのだが、担当の医師ももう自分の手には
負えない様子であり、大学病院へと転院する事になった。
大学病院に着いても、やはり寒気がひどく、熱が38度を下回ることは
なかったのだが、地元の病院では熱のこともあり風呂に入っていなかったとあって
強制的に風呂に入る事となった。
風呂から上がると眩暈がして仕方が無かった事を憶えている。
その後皮膚病の治療のために軟膏を塗ると言うことで処置室へと行ったのだが、
そこで処置が終わると目の前に光の点が無数に見えて座っていることにも
疲労するような、貧血のもっと酷いような感覚に襲われた。
それでも自分の病室に帰ろうと歩き出したのだが、病室へ続く廊下の
半ばあたりで意識が一瞬途切れたのだろう、気づくと廊下の床が顔のすぐ近くにあった。
私は倒れていたのだということに気づき、看護婦と近くにいた
医師に助けられながら、病室に戻った。
私はそのときベットに座っていることさえも辛くて、直ぐに横になった。
テレビを観ようかととも思ったが体がそれを許してはくれない。
私はどうしようもない疲労感にただただ従い、眠りに就いたのだった。
私が次に目を覚ますのは、3日も先で違う病棟の個室であるということは
そのとき思いもしなかった。
と言ってももう大分忘れているけれどもコレに書いておこうかとも思う。
あの頃は仕事での無理と減量のツケが蓄積して、かなり体調が悪かった。
一時期0.12tあった体重がそのときには85kgほどに減っていた。
これは今考えてみれば、減量をするに当たり栄養摂取を抑えることを
メインにした事により、病気にかかりやすくなっていたため
風邪を長期間にわたりこじらせてしまったことから始まった様に思う。
それにより関節が座る事にも苦労するほどに痛くなり、また従来から持病の
皮膚病も悪化していった。
入院直前には、車の座席からの乗り降りにでさえ、かなりの時間を要し
床には直接座れない様な状態になっていた。
私ももう流石にしんどかったので、地元の入院するはこびとなったのだが、
入院するとすぐに高熱と強烈な寒気に襲われてそれが交互に私の
体力を削いでいった。
3日ほどそれに耐えていたのだが、担当の医師ももう自分の手には
負えない様子であり、大学病院へと転院する事になった。
大学病院に着いても、やはり寒気がひどく、熱が38度を下回ることは
なかったのだが、地元の病院では熱のこともあり風呂に入っていなかったとあって
強制的に風呂に入る事となった。
風呂から上がると眩暈がして仕方が無かった事を憶えている。
その後皮膚病の治療のために軟膏を塗ると言うことで処置室へと行ったのだが、
そこで処置が終わると目の前に光の点が無数に見えて座っていることにも
疲労するような、貧血のもっと酷いような感覚に襲われた。
それでも自分の病室に帰ろうと歩き出したのだが、病室へ続く廊下の
半ばあたりで意識が一瞬途切れたのだろう、気づくと廊下の床が顔のすぐ近くにあった。
私は倒れていたのだということに気づき、看護婦と近くにいた
医師に助けられながら、病室に戻った。
私はそのときベットに座っていることさえも辛くて、直ぐに横になった。
テレビを観ようかととも思ったが体がそれを許してはくれない。
私はどうしようもない疲労感にただただ従い、眠りに就いたのだった。
私が次に目を覚ますのは、3日も先で違う病棟の個室であるということは
そのとき思いもしなかった。
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