刹那的に生きてます。

これを読んでくれていた方々のために安否だけ書いておきますよ。
どうでもよくなる。
最近はスロへもまったく行っていないが、最初の一週間ほどは
こみ上げる衝動があった。が、それをすぎるとどうでもよくなる。
まあそこそこ更新していたこの日記も、ある程度の日数を空けると
書かなくてもきにならない。

習慣にすることは大変だがそれを止める事は容易だ。
上の例えと下とは別物だけど。

入院の記録3

2005年2月8日 日常
この部屋はとにかく殺風景だ。
目の前には看護婦や医者が出入りするスライド式のドアが付いており
私のベットの傍にはテレビと一体化した荷物入れが置いてある。
本当にそれだけなのだ。
私の体は上半身側を電動で上下するベットによってしか操作できない状態なので
後ろ側にある窓にさえ目を向けることが出来ない。

そのような状態では思考すること位しか出来ることはないのだが、
それにさえ疲労を感じていた。
とにかく暇なので読んでいなかった週刊漫画を買ってきてもらったりするのだが、
それを続けて読むことが出来ず疲れ果ててまた眠ってしまうのだ。
そしてまた夢の中で勝手に物語を紡いでしまう。
後日もう一度その漫画を読み返してみると、私が読んだと思っていたストーリーと
書いてある内容がかなり違っていることに驚いた。

今でも思うことがある。
私の脳は本当はまだ完治していないのではないだろうかと。
たとえ他人から見ても自分でも完治しているように見えたとしても、
あの時になにか大事なものが失われていたのではないか、
本当は、今の自分は以前の自分とは全く違っているのではないか。
本人にも認識できない以上、それを確かめる術はないのだが。

入院の記録2

2005年1月31日 日常
目が覚めると天井が違っていた。入院した当初の部屋の
黄ばんだようなくすんだ色から、真新しい白へと変わっている。
私は自分が置かれている状況について理解できないまま
また眠ったのだろう、その辻褄を合わせるために夢の中でもがいていた。
次に目覚めたときには、夢での出来事と現実の区別がつかなくなっていた。
自分は空を飛べると確信したり、足が3本になったような感覚に陥ったりと、
傍から見ればこの3日間で本当に脳に障害を負ってしまったのではないかと
思わせたことだろう。
実際医師からは、助かる確率は1/3程度でのこりは障害が残るか
この世にはいないと言われていたようで、家族には随分と心配をかけたようだった。

やっと私が今の状況を理解できるようになると、
今度は体が思うように動かないことに気づく。
3日間で筋力がかなり落ちてしまったらしい。
また関節の痛みが動かそうという気力さえも奪ってしまう。

その時の事を思い返してみて気づいたことがある。
どうやら体が弱ると普段自分の内面を押しとどめているものが外れ、
自分の気持ちを素直に言える様な気がするのだ。
実際看護婦にも綺麗な二重ですね、とか趣味を聞いてみたりとか、
また「涙そうそう」を聴いて泣いて見たりとか、
とにかく普段の自分ではない澄んだ心境にあったように思う。
(ああ看護婦を口説いているのは澄んだ心境とはちがうなw)
多分、死にゆく時の心境とはこのようなものなのだろうな、などと考えたりしていた。
ということで、あのころの心境を忘れないように、
と言ってももう大分忘れているけれどもコレに書いておこうかとも思う。

あの頃は仕事での無理と減量のツケが蓄積して、かなり体調が悪かった。
一時期0.12tあった体重がそのときには85kgほどに減っていた。
これは今考えてみれば、減量をするに当たり栄養摂取を抑えることを
メインにした事により、病気にかかりやすくなっていたため
風邪を長期間にわたりこじらせてしまったことから始まった様に思う。

それにより関節が座る事にも苦労するほどに痛くなり、また従来から持病の
皮膚病も悪化していった。
入院直前には、車の座席からの乗り降りにでさえ、かなりの時間を要し
床には直接座れない様な状態になっていた。

私ももう流石にしんどかったので、地元の入院するはこびとなったのだが、
入院するとすぐに高熱と強烈な寒気に襲われてそれが交互に私の
体力を削いでいった。
3日ほどそれに耐えていたのだが、担当の医師ももう自分の手には
負えない様子であり、大学病院へと転院する事になった。

大学病院に着いても、やはり寒気がひどく、熱が38度を下回ることは
なかったのだが、地元の病院では熱のこともあり風呂に入っていなかったとあって
強制的に風呂に入る事となった。
風呂から上がると眩暈がして仕方が無かった事を憶えている。
その後皮膚病の治療のために軟膏を塗ると言うことで処置室へと行ったのだが、
そこで処置が終わると目の前に光の点が無数に見えて座っていることにも
疲労するような、貧血のもっと酷いような感覚に襲われた。
それでも自分の病室に帰ろうと歩き出したのだが、病室へ続く廊下の
半ばあたりで意識が一瞬途切れたのだろう、気づくと廊下の床が顔のすぐ近くにあった。
私は倒れていたのだということに気づき、看護婦と近くにいた
医師に助けられながら、病室に戻った。

私はそのときベットに座っていることさえも辛くて、直ぐに横になった。
テレビを観ようかととも思ったが体がそれを許してはくれない。
私はどうしようもない疲労感にただただ従い、眠りに就いたのだった。

私が次に目を覚ますのは、3日も先で違う病棟の個室であるということは
そのとき思いもしなかった。

過去と未来

2005年1月1日 日常
毎年のことだが、年末年始というものは自分の過去と未来について
様々なことを考えさせる。
だが私がするその種の妄想は、多くの人々にとってのそれとは異なっていると思う。
それはこの1年、私が得たものは何ひとつ無かったという事実による。
これはまったく自業自得なわけだが。

ということで俺にとってはあけましてもまったくおめでたくはなかったが、

「今年は皆さんにも私にも少しでいいから幸福が訪れますように」

と祈っておくことにするよ。

波田陽区

2004年11月27日 日常
hiroさんの日記より
・ずっと前から思っていたけどギター侍・波田陽区は何がおもしろい?
何度かTVで見たけどおもしろさが全然伝わってこなかった。

俺も同意。そこで考えを進めて
みんなが言うほどなぜ俺は面白くないのかを考えてみた。

いわゆるあるある系のお笑い芸人としては他に、
・長井秀和
・ヒロシ
・つぶやきシロー
・だいたひかる
などがいるが、俺はこれらと比べるとどうしても面白さが劣っているように感じてしまう。
それはあるあるのネタ自体に
「人々が漠然と感じていることをはっきりと認識させてくれる」感が
足りないせいではないだろうか。
あるある系はここがキモであり、平たく言えば言葉どうり「あるある」とひとに言わせるような指摘である。

内容を細かく分けてみてみると
「〜〜ですから!!」の部分で題材への指摘にウマさがあまり感じられないのだ。
俺にはああそうだねと感じるくらいで、あるあるというよりは、
ちょっとウマい突っ込み程度に感じてしまうのだ。
うまい突っ込みであれば他にかなりの数いるから
特筆するほどのものではないなあと感じてしまう。

そのあと残念とつづき、「〜〜〜斬り!!」で終わるがこちらは
比較的面白いと思う。
2重突っ込みは斬新だとも感じる。

こう考えるとネタというよりはこのパフォーマンス全体が流行として
受け入れられているのではないかと思う。
だからネタ重視の俺には向かないのではないだろうか。

今回の日記で参考にした日記。(simple- 笑いの種類と空気)
http://umi.no-ip.com/simple/pdone.html?id=405

これは余談だが俺はヒロシの方は大好きだ。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091100596872.html

ここ。まえに1回みていたのだが、シャクの長いものが
UPされていたので見てみた。

感動しすぎてうっすら涙を浮かべてしまった。
これは手放しで賞賛できる部類のものだ。
とくに見所は時間がなくなったときのBGMの再現。
驚愕ものだ。手が残像を残している。
(ただ画像が荒いだけというのもあるが)
お笑いで言えば、品川庄司の庄司・ドランクドラゴンの鈴木・
北陽の虻川(もう片方は芸人向いてないと思う)・アンジャッシュ。
他もいるが思い出せない。

いてもいいかなと思われる存在になるのにさえも、大変な努力が必要なのだな。
まして必要だと思われるようになるのにはその時代とか
運だとかいうものも大きく作用すると思われるので
奇跡に近いのではないだろうか。かといって決して努力を
軽視しているわけではない。

さらにいてもいいと思われる存在のワクがあるのではないか。
そこから外れると嫌われるか去って消えていく。
いや、嫌われるワクもあるのか、例えば出川とか山崎。
松本は以前「タバコ」(ものの比較をされるためにそばに置かれるアレ)
の話をしていて、
「お笑いも同じで自分が面白いことを示すにはその基準が必要」
などと言っていた。
彼はその最低の基準として山崎を使用しているのではないか。

そうであったとして、
そのことに山崎は不服ではないのか、そこに甘んじていていいのだろうか。
もしかして松本との実力の差さえも分からない実力なのか。

話が逸れた。が、そのままで終わる。

休養

2004年11月1日 日常
終日打ったおかげで次の日はダウンしてしまった。
まあなにせ2年ぶりのことなのでしょうがないか。
自分がどこまで頑張れるのかその度合いがまだわかってないなだなあ。
その次の日は地域のお祭りで1日拘束され、また疲れてしまった。

ということで今日はMOにて神河のリリースリーグをやっていた。
結果は2つやってどっちも1−4。ひどい。
ブースターが2こなので駒がそろいにくい。
このブロックで3色はやりたくないがやらないといけない。
むずかしい。

明日は調子がもどれば実践に行きたいが・・・。

天下布武

2004年3月31日 日常
をやってみました。
マイルドだね、なんか連荘しても全然増えたきがしない・・・。
子役解除と覚醒がメインのゲーム性だなあ。
久しぶりにゆっくりダラダラとあそべたのでまあまあかな。
でも15k負けたけどね・・・。
で、キンパルAで挽回しました。最終的には+5k。
あれだけ出て日当がでたんだから十分だな。

食えるかどうかは・・・設定がよめるかどうかだなあ。
まあキンパルほどは簡単じゃないとおもうけどね。

宣言

2004年3月13日 日常
ダラダラし飽きました。
ということでやらなければならないことを羅列して
自分を追い込もうとおもいます。

・床屋
普通のひとはなんでもないことなのだろうけど
わたしにとっては結構エネルギーがいります。
こんなこといってるからダラダラし続けちゃうんだよな。

・歯医者
これは1年くらいいっていないので検診してもらいたいから。
これもエネルギーが・・・(略

・通院
これは月曜に行く予定。いや、行く。予定なんてつけるから駄目なんだよな。

・接骨院
首がいたいのでほぐしてもらいたい。
ちなみに骨に異常はないことは整形外科で診断済み。

・復帰のための準備
これもどこまで自分を追い込むかだ。
基本的にやる気だけだが、それが削がれるほどの痛みはどうしたものか。
自分が一体どこまでやれるか?ということについて、
私はまったく理解していなかった。
そのことは今回の病気で十分わかった。
だから自分の感覚は信じれない。
かといって何もしなくてもよいというわけではない。
なにかやろう、なんでもいいから。

以上を一日1つはやります。と自分を追い込みます。

イメージ

2004年3月9日 日常
日記のような文章を読んでいるとき、
こっちの勝手な妄想で書き手の外見を作ってしまっていることってありますよね?
文章の構成などから雰囲気を想像したりして。
すくなくとも私はそうです。

もちろんリンクしている皆さんにも勝手なイメージを
もってしまっているわけで。
その大半が男前な感じです。
なんか夢見る乙女みたいだなあ。

・・・まあこのイメージのままでいいのかもねー。

ちなみに私の外見は「夢見る乙女」では決してないです。あしからずw

「∀」

2004年3月8日 日常
(・∀・)イイ←これ等で使われてる「∀」、
ジツは数学とか論理学で使わる「すべての」って言う意味の記号なんですねー、
と知識をひけらかしてみる。

あ、あと「ξ」はクサイと読みます。微積分でつかったなあー昔。
私が習った先生はグザイってよんでたような気がするけどなあ。

あそび

2004年2月26日 日常
今日は夕方ころ友達が遊びにきました。
なんといっても会話がたのしかった!
こんなにたのしいものとはねー、
本格的に遊んだのはすごくひさしぶりだから新鮮だったのかな。
こんなことでもすごく幸せを感じる自分がいました。

最近

2004年2月9日 日常
日記を書く気になれません。生活のほとんどが家の中で
外出は1週間に2、3度。これじゃあ面白エピソードなんて
あるわけないよね。
どんな生活しててもいろんなことを考えているので
それを表現できればいいんだろうけど、そんな文章力があるわけもなく。
うーん、それと寝る直前にネタを思いつくんだけど、
寝ちゃうとわすれちゃうんだよなあ。
思いついたらメモでもとればいいんだけど、目が覚めちゃうじゃない?
それに後で見ると赤面になるものも多いから、没になちゃうしね。

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